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間違えてバスに乗ってしまい、教習所に行ってしまった。
もう誰も私のことを覚えていないだろうし、卒業生が気安く遊びに行けるような雰囲気の場所でもないから、さっさと帰ろうと思ったら、あんなに乗りたかった教習車に乗りたいという気持ちがさっぱりなくなっていることに気づいた。
今までの楽しかった思い出がすべて色あせて感じた。
幸い、一番仲がよかった先生は私のことをまだ覚えていてくれたみたいで、目が合ったときにニッと笑って教習中なのに教習車からこっそり手を振ってくれた。
その様子がおかしくて思わず吹き出してしまった。
よそよそしく感じていた場所だったけど、何となく帰ってきたという気がした。
最近、運転中に煽られることが多く、怖い思いを何度もして、もう運転をやめてしまおうと思っていた。
休み時間に「運転してる?」と先生に訊かれたけれど、素直に答えられなかった。
免許を取ってから一度も運転していないし、身分証明が欲しくて通っていただけだから、たぶんこれからも運転しないと思うと嘘をついてしまった。
本当は週に数回かは運転するようにしているし、運転した後はノートにその日の反省点、気づいたことなんかを書き込んだりしている。
苦手なことを克服しようと色々調べて、やはりノートに書き込んで参考にしている。
それなのに、教習中に一度は注意されたことばかりやらかし、全く進歩がないせいで、恥ずかしくて運転しているとは言えなかった。
先生は「ふーん」と言った後、ちょっと考えて、「まあ、これからも時々こうやって遊びに来てここでボーッとするのもいいんじゃない」と言った。
間違えてバスに乗ったと思っていたけれど、本当は無意識に乗ってしまったのかもしれない。
引導を渡してもらいたかったのに、家に帰ったらさっそく運転していた。
日記というか雑記 |
先月の半ばくらいまで教習所通いして、2ヶ月でなんとか自動車の免許をとってみたものの駐車ができず、まだどこにも出かけられないでいる。
教習所の先生がみんな優しく甘やかされすぎたのか、先生が隣にいてくれないと運転が怖くて仕方ない。
仮免試験も卒業検定も検定員が私に一番甘かった気がする。
口を出せない代わりに身振り手振りで色々教えてくれたり、自主経路では本当は教えてはいけないのに道を教えてくれた。
他の人には教えていなかったけど、私の運転が危険すぎて思わず教えてしまったのかもしれない。
一応全部の試験を1回で通ったけれど、自分の運転に全く自信が持てず、本当にこれでよかったのかといつも考えてしまう。
このままではいけないと思い、週に数回は練習するようにしているけれど、全く進歩が見られない。
いつも一人で運転していると、見通しが若干よくなった左側が寂しい。
先生が危ないときはブレーキを踏んでくれたり、補助ハンドルしてくれたのが懐かしく、今でも教習車に乗りたいと思ってしまうことがある。
免許が取れて先生に報告に行ったときに、何度も遊びに来てくださいと言われたけど、そのうち本当に遊びに行ってしまいそうな自分が怖い。
本当は卒業したくなかった。
情けないことを散々書いたけど、教習所では態度が悪く、出来も悪くて問題のある教習生だった。
私は普段、愛想笑いばかりして無理やり違う自分を演じなければならないから、プライベートでは素でいると決めている。
教習中は思ったことを平気で言ってしまうから、恐らく先生達は引いていたと思う。
路上教習で「帰りたい」と言うのはしょっちゅうで、見通しの悪い交差点で「この道嫌い」とか言ったり、「免許が取れても運転するつもりはない」と言い張ったり、今思い出すととんでもないことを言っていた気がする。
運転しているときの表情がすごく嫌そうと言われたり、すぐ拗ねるとも言われたし、最悪の態度の悪さだったと思う。
だけど、運転中は全く余裕がなく、自分を取り繕ってなんかいられなかった。
こんな奴がなんで免許を取ろうと思ったかというと、いくつか理由がある。
普通免許を持っていないと、なんで取らないのかと理由をいちいち説明しなければならず、毎回のことだと疲れてくる。
免許を取る理由は訊かれないのに、取らない理由は必ず聞かれる。
そして、免許を取ろうとしないことは変なことらしく、持っていないことに対する風当たりが強い。
後は、諦めたいという気持ちもあった。
やろうとしないのではなく、できないのだと自分にも周りにもはっきりさせたかった。
自分は運転しないだけで、運転しようと思えばできる人間だと思う気持ちを1%も残したくなかった。
周りの人間にも、あの人はやらないだけでやればできるとか変な期待を持たせたくなかった。
できないということを完全にはっきりとさせ、きっぱりと諦めたかった。
大きな理由はこんなところで、先生にも訊かれて答えたことなので、もしこのブログを見たら誰なのかばれると思う。
でも、こんな辺境のブログは検索しても引っかからないから、たぶん大丈夫だろう。
天気がいいし、今日も運転頑張ろう。
日記というか雑記 |
自分の器の小ささが嫌になることがある。
他人を頼ったり、何かを頼んだりすることが苦手だと自覚しているけれど、そのせいで他人の足を引っ張ったり、仕事に支障を来たすことがあるのが問題である。
根底に自分のほうができるという傲慢さがあるというのは重々承知のことで、他人に何かお願いしなければいけない場面になると自分の中の大嫌いな自分が突然顔を出す。
人間不信が極まると他人を頼るよりは、すべて自分でやったほうが安心だと思える。
他人に頼むと、自分の思った通りのやり方でやってくれるとは限らないし、頼んでいたことを忘れられてしまうというリスクもある。
他人に何かお願いするときは、その人を信用していたり、認めていたとしても、リスクもひっくるめてお願いするということであり、自分の器を試されている気がする。
私は人間不信が強いからか、他人をどれだけ信用できるのか数値化することがある。
100%信用できるなんて、もちろんあり得なく、80%以上ならすごいことだと思っている。
なるべくなら自分の周りの人間は50%を超えていることが望ましいけれど、仕事なんかはそうはいかない。
10%、30%とかの人間と係わっていかなければならない。
そういう人に何かを頼まなければならない状況もあるわけで、はっきり言って胃痛が悪化する。
新人指導を任されている同僚を見ると、こういうところでその人の器の大きさが測られているのかもしれないと思うときがある。
新人に教えたことを一人でやってもらう時は、とても忍耐強く見守らなければならない。
ちなみに私は、人見知りと器の小ささがばれたのか新人指導を任されなくなった。
気楽でもあり、ちょっと寂しくもある。
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個人的にこの世の終わりかと思うほど悲しいことがあり、ブログを更新する気力もなく、神社に行って神様に愚痴ったり、女子会で岩盤浴に行ったり、飲み会でお酒を飲みまくったりして、周りを振り回しつつ今はだいぶ気持ちを立て直すことができたと思う。
この間、病院の待合室で気になる本を見つけた。
平木典子さんという方の本で、「自分の欲求や意見、気持ち、価値観などを、素直に率直に、その場に適切に表現する」ためにはどうすればいいかということや、その方法などについて書かれていた。
発達障害関連の本に飽き飽きしていたところだったので手にとってみたものだった。
確かに、自分の言いたいことを他人の顔色を窺って言えなかったり、自分さえ我慢すればその場は円く収まるとか考えているよりは、言いたいことははっきり言ったほうが自分にとっても周りにとってもいいと思う。
私の場合、言いたいことを言えなかったときは常に体調が悪く、精神的にも不安定だった。
ストレスを溜め込んでうつ病になったら自分も辛いし、周りにも負担をかけることになるのだから、嫌なことは嫌と言ったり、不愉快なことや理不尽なことで怒りを感じたらそれを相手に伝えたり、不満はその場で小出しにして言うのは大事なことだと思う。
それで関係が拗れるようなら、遅かれ早かれ破綻する関係なのだと思うし、常に相手に好かれようと努力し続けても好かれるとは限らないし、仕事に差しさわりがない範囲で言いたいことは言ってしまえという態度でいたら、なぜかB型に間違われるようになった。
本を読む前から自分で思っているよりも自己主張していたみたいだ。
平木さんの本を読んでしばらくたったある日、書店で『アサーション・トレーニング 深く聴くための本』というタイトルの本を見つけた。
こっちの本は自己表現するだけでなく、自分のことを表現することと、相手のことをしっかり聴くということが両輪としてあり、「きく」とはどういうことか、そのためのコツなどが書かれていた。
自分のコミュニケーションの傾向がわかり、自分が他人に興味が持てなくて、しかもコミュニケーションの仕方としてはかなり攻撃的であることがわかった。
でも、一番の問題は他人の話を聴けないということだと思った。
他人が話していても次に何を話すかとか自分だったらどうするかとか考えてしまい、本当に私は他人の話を聴いていなかった。
私は誰かと一緒にいても常に自分の一方通行であると感じていたけれど、自分がこんな問題を抱えているとは全く気づいていなかった。
私が他人との係わりの中で、自分のポジションを面白い人というところに持っていき、周りも私を面白い人と思っていることも問題だったと思う。
他人が話していても、次に自分が何を話すか考えるクセは、相手を笑わさなければとか自分の意見もちゃんと言えなければと思うことからついたものなのだろう。
一瞬だけ、他人からどう思われようがポジションなんか無視して自分のことは一旦置いておいて他人の話に耳を傾けてみようかという気になった。
けれど、他人に興味がない人間が聴くための技術だけ身に付けたところで、それは形でしかなく、何かが変わることはないのだと思う。
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今年は梅雨入りが早く、気づいたら天パーにとっての恐怖の季節になっていた。
本当は梅雨入り前に髪を切っておきたかったのだけれど、もたもたしているうちに梅雨入りしてしまい、必死に美容院へ行ってきた。
前に行っていた美容院から浮気して今の美容院へ通うようになってから今日で4回目で、人見知りする性格の私も少しだけ慣れた気がする。
美容院での会話が苦手という人は私の他にもけっこういるみたいだけど、私がいつも美容師さんに訊かれて一番困るのはシャンプーは何を使っているかということだったりする。
実は半年程前から小麦粉シャンプーという怪しい液体を自分で作って髪を洗っているとはとてもじゃないけど美容師さんには言えない。
訊かれるたびに困っていて、マイナーなシャンプーだからたぶん言ってもわからないと答え続けている。
小麦粉シャンプーとは、小麦粉10gを水90mlに溶かして、鍋かレンジで加熱してとろみをつけたもので、これを地肌につけて揉みこむようにマッサージして洗い流すという簡単なものである。
私は石鹸シャンプーの洗浄力が強すぎて、髪の毛の油分が抜けて硬くパサパサになってしまったために、小麦粉シャンプーをするようになった。
今はだいぶ元の髪質に近くなり、髪にツヤも出てけっこう気に入っている。
小麦粉シャンプーをするようになってから梅雨を迎えるのは今回が初めてなので、この先どうなるかはわからないけれど、できれば続けていきたい。
日記というか雑記 |
自分がもう若くないと思ってから、自分よりも年下の男の子に対して誤解されないように気をつけようと思うようになった。
自分がセクハラの加害者と疑われるような言動は避けるように、特にボディータッチなんて絶対にしないようにしていた。
それなのに、私がバイトの男の子と仲が良くてお尻を触ったなんて変な噂が立ってしまった。
誤解が解けた今も、思い出すだけで悲しく、悔しい気分になる。
偏見かもしれないけれど、逆セクハラをするような人物というと、私は男に飢えたおばさんを想像してしまう。
場合によっては、おばさんとブスは同義語でもあり、私はブスとおばさんと色ボケという一般的な女性だったら言われたくない言葉の中でも上位に入る言葉を三つセットにして言われて侮辱されたことになる。
自分より若い子に囲まれていれば、ブスとおばさんは仕方ないとしても、色ボケ扱いだけは許せなかった。
そりゃあ、被害者とされている男の子は背が高いイケメンの部類に入る男の子だけど、イケメンに反応できない私にとってはそんなことはどうでもいいことである。
結局、若さと美貌などを総合して性的魅力が下と判断された者がセクハラしたと疑われるものなんだと今回のことではっきりした。
もし、被害者とされている男の子が私に逆セクハラされたと勘違いしている可能性も考えて、直接本人に確認してみた。
彼はそんな変な噂のことなんか全く知らなかったらしく、「私、○○君のお尻を触ったことはあるかしら?」と訊いたら驚いていた。
触られていないとはっきり言ってくれたのと、もし誰かに訊かれたら触られていないと言ってくれると約束してくれたので、少しだけホッとした。
今回のことで、自分がセクハラの被害者にも加害者にもなりうる立場なのだと肝に銘じておこうと思った。
そして、妬みやっかみの恐ろしさが身に染みた出来事でもあった。
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去年の秋くらいからお腹の調子が悪すぎて、ビオフェルミンSのお世話になっていたけれど、最近はそれすらも効かなくなり、毎日お腹が張って眠れないという状態になってしまった。
私の場合、ストレスがすぐにお腹に影響することはわかっていても、ここまでひどいことになったのは初めてで、吐きそうなくらい気持ち悪い。
腸は第二の脳とか言っている人がいるけれど、腸内環境の悪化とともに性格まで変わってきた気がする。
自分の凶暴さに歯止めがきかなくなり、ホルモンバランス並みの影響力に驚いている。
一昨日からオールブランを毎朝食べ始めた。
もそもそした食感が苦手で、豆乳とオリゴ糖をかけて流し込むようにしている。
玄米より食物繊維が多いにもかかわらず、玄米のように胸焼けしないところは気に入っている。
少しだけ性格もまるくなった気がする。
先週、原宿にある伊藤病院で甲状腺の検査を受けてきた。
結果は今週にわかることになっている。
結果が出るまでは穏やかに過ごそうと思っているけれど、それも自分のお腹しだいだと思う。
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自分がメニエール病にでもなったのかと思ったほど恐ろしい揺れだったあの地震の後、毎日余震に怯えながら、どうにか一週間が過ぎ、パニック状態も少しずつ落ち着いてきた。
地震直後から精神状態が最悪で、生まれて初めて人前で声を荒らげ怒りをぶちまけた。
私が怒っているのに相手はへらへら、ニヤニヤしていてその態度が余計に癇に触った。
「まあ、まあ」とか「そんなに怒らないで」とか「けんか腰にならないで」とか言いながらずっと笑っていて私は全く相手にされていない感じだった。
きっかけはささいなことで、今となっては何であんなことで怒ったのか自分でもよくわからない。
最後は私も少しだけ笑って別れたけれど、彼は許してくれるだろうか。
たとえ許してくれなかったとしても、家族以外はこの先も一生係わりを持つというわけでもないから、それはそれでいいと思っている。
地震の影響で卒業式も中止になり、自分が本当に卒業するという実感が全く湧かない。
どうやって区切りをつけようかと今考えている。
日記というか雑記 |
ずっと隠してきたつもりで隠しきれていなかったことがある。
ばれてないと思っていたのに、そう思っていたのはもしかしたら本人だけだったのかもしれない。
自分で認めてからもブログにも書かないようにしてきた。
でも、ばれても思ったほど人は何とも思わないのかもしれない。
先日とうとう口がすべってうっかり言ってしまったから、ここにももう書いてもいいと思う。
本当はずっと男の人が恐くて嫌いだった。
前は体が拒否しても嫌いとアレルギーは別で、自分は男の人が嫌いなのではなくアレルギーみたいに自分の意思に反して体が拒否するだけと自分に言い聞かせているようなところがあった。
だけど、体が拒否するときの反応が嫌いなものを前にしたときと全く同じ反応だったから途中から認めざるを得なかった。
先日、ある男の子と話していたときに、女の子が恐くて普通に話すことができないと言われた。
ずっと男子校で、大学でも女の子と接触する機会がない環境にいるらしく、人見知りする性格もあって女の子に話しかけられないとも言っていた。
彼に相談されているときに自分もついポロリと私も男の人が駄目だと言ってしまった。
彼は私が男の人に興味がないことを見抜いていて、私が男の人を恐いと思っている前提で話を進めてくるので、途中からもう隠しているのが面倒くさくなってしまった。
お互いに女とも男とも思っていないから普通に話せて、相手の性別に対して恐いとか嫌いとか言ってしまえたのかもしれない。(相手の性別とはここでは書いたけど、相手は私の性自認を知らず、私が自分で自分のことを何の疑いもなく女と思っていると相手が思っているという意味であって、私の性自認が女ではないことを一応ここで断っておく。)
男女の間の友情は成立しないとよく聞くけれど、相手を性的対象と見ていなければ可能だと今実感している。
彼とは何時間でも話せてしまうし、一緒にいてとても楽しい。
もしかしたら私に生まれて初めての男友達ができるかもしれない。
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面倒くさいのと防寒のために髪を伸ばしっぱなしにしていたのをバッサリ切ってみた。
今までの美容院だといつも同じような髪形になってしまい代わり映えしないので、思い切って違う美容院に行って切ることにしたのだけれど、死ぬほど緊張して切った後に体調を崩してしまった。
切ってからそろそろ2週間くらいたち、ようやく体の調子も普通に戻った。
今度の髪形は椎名林檎のガムのCMに近い髪形になった。
周りの反応が微妙で、なぜか思い切ったと必ず言われ、こっちのほうがいいと言う人もいれば長いほうがいいと言う人もいて評価が分かれた。
ほとんど別人に見えるほどの変わりようで、一瞬誰だかわからなかったと何度か言われた。
けれど、長いほうが似合うと思っている人のほうが多いみたいで、「何があったの?」とやたらと聞いてくる男の子もいたり、会う人会う人に髪形のことを言われて口調や雰囲気から長いほうがよかったと思っているのが読み取れるとなんだか気分が暗くなってきた。
髪をバッサリ切った理由は、はっきりとは誰にも言っていないけれど、失恋とかではなく最近試験に落ちまくって落ち込んでいて、これまでその試験にかけていた過去の思いを断ち切り、邪念を払い、気持ちを入れ替えてもう一度頑張ろうと思ったからである。
ちょっと恥ずかしいので人には言いづらい。
切る前の長さは肩にはつかない程度で、そんなに長くはない。
自分としては大して変わったと思えないのに、なんで切ったのに気づかれるのかよくわからない。
よくわからないので、髪のことに触れてきた人たちに聞いてみることにした。
まず、一目ですぐに私だと気づいた人になんで私だとわかったのか聞いてみた。
そしたら顔が同じだからすぐにわかったという答えが返ってきた。
別に化粧をしているわけではないので、顔が同じだというのは当たり前だけど、意外とみんなが人の顔を見ていたことがわかった。
次に、なんで切ったんだとやたらと言ってきた人に、なんで切ったことに気づいたのかと反対に聞き返してみた。
そしたら、あったものがなくなったらさすがに気づくと言われ、笑われてしまった。
自分が他人の変化に敏感ではなく、髪形を変えたりメークを変えたりしても気づかないからって人も同じだとは思ってはいけない。
こういうのは観察力の問題なのか他人に関心があるかないかの問題なのかと考えてみたけれど、やっぱりわからない。
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